『起業の天才! 江副浩正 8兆円起業リクルートを作った男』を聴いてみた要約・感想(オーディブルVol.22)

オーディブル作品 要約
こんな人におすすめ!
  • リクルート事件について知りたい方
  • リクルートがどういう企業なのか知りたい方
  • 従業員が主体的に考え、行動する組織を作りたいと考えている方
この記事を書いた人
渋谷16番

過去の事件により逮捕され、懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を受ける。
会社倒産、借金2億、離婚、自宅売却、自殺未遂。

そんな時にオーディブルと出会い、たくさんの本に触れた。
本から多くの気づきを得て、生きながら罪をつぐなっていくこと、そして自分の可能性を信じ、再起を図ることを決意。

社会に貢献できる人間になるため、僕は人生をあきらめない。

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作品情報

  • タイトル:起業の天才! 江副浩正 8兆円起業リクルートを作った男
  • 著者:大西康之
  • ジャンル:ビジネス・マネジメント・伝記

著者紹介:大西康之

ジャーナリスト。1965年生まれ。愛知県出身。
1988年早稲田大学法学部卒業、日本経済新聞社入社。欧州総局(ロンドン)、日本経済新聞編集委員、日経ビジネス編集委員などを経て2016年4月に独立。

著書に『稲盛和夫 最後の闘いJAL再生にかけた経営者人生』『ファースト・ペンギン 楽天・三木谷浩史の挑戦』(以上、日本経済新聞出版)、『三洋電機 井植敏の告白』『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』(以上、日経BP)、『ロケット・ササキ ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正』(新潮社)などがある。

オーディブル情報

  • 通常再生時間:14時間37分
  • 実際に聞いた再生時間:4時間10分(3.5倍速)

この記事では、私が上記の再生時間で聞き、理解した内容について感想を交えて綴っていきます。

なんと!!

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本を読むにあたって:動機、何を学びたいか

人事評価のことを勉強するにあたって、いくつかの本を聞いているとリクルート出身の方が出している本に出くわすことが多いように思う。

たまたまなのかもしれないが。

リクルートの創業メンバーの一人である大沢武志さんの「心理学的経営 個をあるがままに活かす」を聞いて、余計リクルートという会社に興味を持った。

私が留置所にいる間に支援者が差し入れしてくれた本の一つでもあった。

当時はなんとなく読んでいただけであったが、改めて今「リクルートという企業がなぜ多くの優秀な人材を輩出しつづけ、代表である江副さんがリクルート事件で失脚した以降も企業として成長し続けることができたのかを知りたい」と思い聴くことにした。

「心理学的経営 個をあるがままに活かす」の要約はこちら

留置所生活についてはこちら

あらすじ・目次

オーディブルでのあらすじ

ジェフ・ベゾスは、このヤバい日本人の「部下」だった

かつて日本には、「起業の天才」がいた。

リクルート創業者、江副浩正。

インターネット時代を予見、日本型経営を叩き潰し、自分では気が付いていない才能を目覚めさせた社員のモチベーションを武器に彼がつくろうとしたのは、「グーグルのような会社」だった。

だが彼の名は「起業の天才」ではなく、戦後最大の企業犯罪「リクルート事件の主犯」として人々に記憶される。

「ベンチャー不毛の地」となった日本に必要な「起業家の資質」とは何か。

リクルート事件の大打撃を乗り越え1兆8000億円の負債を自力で完済株式時価総額で国内10位にまで成長した「奇跡の会社」はどのようにつくられたのか。

苦境に立ち逆風に向かうすべての日本人に贈る、歴史から葬られた「起業の天才」の真の姿。

日本にも、こんな経営者がいた!
  • グーグルの「検索」を先取り
  • 独自の「クラウド・コンピューティング」
  • 読売新聞と「全面戦争」
  • 電通から広告を奪う
  • 日・米・欧を結ぶコンピューター・ネットワーク
  • 世界の「コンピューターの天才」をかき集める
「はじめに」より抜粋

江副さんが生きていたら、保身に汲々とする日本の経営者にこう尋ねることでしょう。

「経営者とはどういうものか、経営者ならなにをすべきか。わたしはつねに学び、考え、そのとおりにやってきました。あなたがた、自分が経営者であると考えたことがおありですか」

――瀧本哲史(京都大学客員准教授、エンジェル投資家、2019年没)

各章の構成・目次

  • はじめに 江副浩正は「服を着たゾウ」──瀧本哲史氏インタビュー
  • 序章 ふたりの天才
第1部 1960
  • 第1章 ユニコーンの誕生
  • 第2章 紙のグーグル
  • 第3章 進撃のダイバーシティー
  • 第4章 「日本型経営」を叩き潰せ
  • 第5章 APPI
  • 第6章 打倒Y
第2部 1984
  • 第7章 江副か稲盛か
  • 第8章 森田の未来、真藤の未来、江副の未来
  • 第9章 情報の海へ──ALL HANDS ON DECK!(総員配置につけ!)
第3部 1989 昭和の終焉・平成の夜明け
  • 第10章 変容
  • 第11章 情報が人間を熱くする
  • 第12章 世紀のスクープ
  • 第13章 反転
  • 第14章 「おまえら。もっといかがわしくなれ!」

エピローグ

要約

当時前代未聞のビジネスモデル

江副氏は大学時代に新聞広告業の延長で『株式会社大学広』を立ち上げた後、『企業への招待』という広告だけの本を無料で学生に配り、

企業からの広告収入だけで利益を得る」という、当時前代未聞のビジネスモデルを確立させ、会社を成長させていく。

『企業への招待』によって主要企業の人事担当者と密接な関係を結び、採用情報を一手に担うようになったリクルートは日本株式会社の人事部になっていく。

求人広告事業を大きくさせた江副氏はさらなる収益の柱を模索し、当時「日本列島改造論」によって開業される東北新幹線に目を付けて、岩手県の土地購入に着手。最終的にはスキーリゾートの開発を行っていく。

このあたりから土地開発、不動産投資へ傾斜していく。

1974年には不動産デベロッパーの『環境開発株式会社』を発足させた。のちのリクルートコスモスである。

バブルへと加速する日本は、江副にたった2年で情報誌で稼いだ10年分の利益をもたらした。

未来の予測

1984年になると、米国では「通信自由化」によってインターネットが黎明期を迎えていた。この頃から江副氏は情報化社会の未来の可能性を見抜き、情報化社会に向けた挑戦をおこなっていく。

このころより江副氏は

「近い将来、紙の情報誌に終わりがくる」

と確信していたという。

次の時代に経済を動かすのは「モノ」ではなく「情報」だと気づいていた。

その後リクルートは、コンピューターや通信に詳しい工学部の東大生、米国へ社費留学している他社のエリートを口説き、自社の通信事業へと次々に登用していく。

採用した優秀な人材を使い、江副は日本・米国・英国の3拠点にコンピューター・センターを設置。

リモート・コンピューティング・サービス(RCS)」を開始する。

今で言う「クラウド・コンピューティング」に他ならなかった。

しかし、日本では「産業主義を存続させようとする人」が変化を拒み、「工業化社会の波」が「情報化社会の波」を押し戻したのだ。

既得権益者たちは、情報サービスによって利権を破壊していく江副に向け、澱のように怨念を溜めていった。

地位を確立していく江副氏

不動産事業と情報事業に傾倒した江副は、口を開けば政治家や高級官僚の話ばかりするようになっていく。

政界人とのコネを築いた江副は、「献金」によってその存在感を高め、中曽根にとって最大のスポンサーの一人となっていた。

中曽根は江副の献身に、土地臨時調整委員会の委員に任命するという名誉で報いる。

中曽根の手引きで「日本の中枢」に入り込んだ江副は、新たなプレゼントを考える。

それが1985年に「環境開発」から「リクルートコスモス」に社名を変える際の未公開株だった。

実際には相手から買ってもらったため「贈った」わけではない。

さらに当時の日本では未公開株を配ることは賄賂に当たるという解釈は一般的ではなかった。そのため、江副は安比で採れたサツマイモを配るかのごとく、無邪気に未公開株をバラ撒いた。

これがのちのリクルート事件へと発展していくこととなる。

事件によって社会からの逆風にさらされる中、他にもバブル崩壊によって江副の買った不良債権の後処理など、リクルートは多くの困難にぶつかる。

だが、これまで江副氏が育てた優秀な社員たちによって最終的にはリクルートは復活を果たして上場する。

江副の”組織論”

革新的なビジネスモデル心理学に根差したマネジメント理論

江副によってこの二つを埋め込まれたリクルートは、江副が去った後も成長を続け、日本の情報産業を牽引する企業になった。

リクルートの社訓

自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ

には江副の組織論が凝縮されている。

フレデリック・ラルーの著『ティール組織』の中で、ティール(青緑)組織は「強力な権限を持つリーダーが存在せず、現場のメンバーが多くのことを決定する」と定義される。

江副の「社員皆経営者主義」は50年前から「ティール」だった。

会社の主役は一人ひとりの社員

江副浩正が創ったリクルートはそんな会社である。

最後に

リクルートの社訓であった「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」が企業文化として社員一人一人に沁みついていることで、リクルート事件をきっかけに会社が苦境に立たされても、リクルートは生き残り続け、成長し続けることができたのだと思う。

その企業文化を定着させたエピソードとして、以下を紹介したい。

「江副は才能を持つ人材を見出し、その人を生かすマネジメントの天才だった。社員のモチベーションを高めることに長けていた。

江副と社員のやりとりはこうだ。

社員が常々「やってみたい」とか不満に思っている事柄について

君はどうしたいの?

と聞く。

戸惑いながらも答える社員に対して我慢強く誘導していき、最後には

じゃあそれ、君がやってよ

と言い、不満ばかりの評論家を当事者に変えてしまうのだ。

社員が1000人を超えるあたりから、いわゆる「大企業病」にかかる時期と言われる。

江副はこれを見越して「拠点別部門別会計=PC(プロフィットセンター)制度」を導入する。

会社を採算責任を負った小集団に分けて競わせる手法で、小集団=「自社の業績に責任を持った社員」を大量に増やすことが眼目だ。

これをリクルートでは、「社員皆経営者主義」と呼ぶ。

終身雇用・年功序列・企業内組合の3点セットによる「日本的経営」の破壊を目ろむ江副流の経営手法がここにあった。」

不満ばかりの評論家を当事者に変えていく。

仕事を自分事としてとらえさせ、裁量を渡していく。

この積み重ねによって「自ら機会を作り出し、機会によって自らを変えよ」という社訓が生まれ、組織文化として定着していったのだと思う。

企業の文化というものはこうやって作っていくんだな、ととても勉強になった。

ありきたりな表現になるが、江副氏はやはり先を見る目がとてもあったのだと思う。

リゾート開発、株式投資、不動産投資、など情報を先取りし、それを事業に活かしていく着眼点がやはり鋭いものがあったのだと思う。

求人広告事業によって「日本株式会社の人事部」になり、情報を頭から抑えることの強さを知ったのだ。

採用が増えている会社、減っている会社の情報を用いてそれを株式投資に活かしたり(江副氏の投資手法は売りだったようだが)、政治の中枢に入っていきそこで仕入れた情報をもとに不動産投資に傾斜していく。

情報を持つことの強みというものを熟知していたのだと感じた。

江副氏といえばリクルート事件のイメージが非常に強いが、のちに多くの人材を輩出し、社長がいなくなっても成長し続ける企業文化を作った経営者として、やはり偉大だと思った。

非常に聞きごたえのある一冊であった。

なんと!!

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