初の取り調べ
当日の取り調べの内容は、家族構成やこれまでの経歴、経緯などが多かったが、事件のことについても多くの質問を受けた。
刑事が事件について質問をしていき、パソコンで調書を作成、プリントアウト。
そのプリントアウトされたものを私が読んで、内容に間違いがなければその調書に署名を行う。
これを逮捕当日は4回か5回くらい行った。
逮捕された日はパニックになっていたこともあり、記憶があいまいな部分もあるが、朝の7時くらいから夕方近くまでずっと取り調べを受けていたと思う。
当日はとにかく、家族や従業員にこのことを伝えなければ、ということで頭がいっぱいであった。
家族のこと、会社のこと、このあと俺は一体どうなってしまうのか。
事件のことよりそのことで頭がいっぱいであった。
そもそも自分には周囲に隠していることが多すぎた。
今回の事件のこともそうだが、すでに多くの借金を抱えていることも周囲は知らなかった。
よく見られようと、自分の知られたくない部分については隠して生きてきた。
家族でさえもこんな状況になっていたとは夢にも思わないだろう。
それが今回全て周囲に知られることになる。
これで全員自分から離れていくのか、その時は恐怖でしかなかった。
弁護士との面会
国選の弁護士か、私選の弁護士か、どちらかに弁護を依頼することが可能だということを取り調べが始まる前に説明を受けた。
知り合いの弁護士は何人かいたので、そのうちの一人に依頼することにした。
これから外部のやりとりはその弁護士を通してしかできないことを改めて知った。
当日弁護士にあえたのはその日の夕方18時くらいであった。
留置所の面会場所は一つしかなく、他の収容者が面会や弁護士との接見に使っているとその間は使えない。
弁護士との接見は時間制限がないが、一般の面会は1日1回20分、と制約があるとのこと。
その日弁護士は早く来てくれていたようであったが、なかなか前の接見が終わらず3時間近く待たされたらしい。
弁護士に事件の概要を説明する。
事件の話よりも当日は会社や家族に関する相談のことが多かった。
おそらく一日連絡が取れなくてパニックに陥っているだろう。
たまたま従業員の何人かと弁護士が面識があったので連絡を頼んだ。
あそこも連絡しなきゃ、ここも連絡しなきゃ、と色々あったが自分では何もできない。
もう弁護士に連絡してもらい、あとはなるようになるしかなかった。
留置所での生活がスタートし…
初めて留置所の中に入った。
そこで、これからは「16番」と呼ばれることになることの説明を受けた。
番号で自分の名前を呼ばれるのか。
当日は一人部屋であった。
あまり全体は見渡せないのだが、何部屋かあるようだった。2.3人の部屋もあるようだ。
夕方の17時から食事が始まった。
畳1枚分くらいのゴザを渡された。
ゴザの上に座ったら、留置官に怒られた。
「テーブルの上に座って食事をするやつがいるか?」
なるほど、ゴザの上に食事を置いて、食べるのか。
というか、説明もしてもらえないのにわかるはずもない。
21時で消灯のようだ。
窓が開いているのか、救急車やパトカーのサイレンの音が鳴り響いてうるさかった。
こんな環境で一体いつまで過ごすのだか。
でもきっと弁護士が数日で出してくれるだろう。
当日はそんな淡い期待をいだいていた。
結果80日近くを留置所で過ごすことになるのだが。
翌日は検察庁に送致される、ということを聞いた。
よくわからなかったが、検察庁に行って、今度は検察官から取り調べを受けるらしい。
一夜明け、検察庁へ
翌日の朝、検察庁へ移動する。
当日検察庁に行くのは4人くらいだった。
部屋から出され、腰縄と手錠を付けられる。
一本のロープにその4人がつながれて、建物の中を移動し、外に出る。
外に出るとフラッシュが光った。
テレビカメラらしきものが何台もあるのがわかった。
私の後ろの人が「なんでカメラがきてんだよ」とボソッと言っていた。
どうやら毎回テレビカメラがきているわけではないようだ。
その後、このカメラは自分のために来ていたことを知る。
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